耀(かがよ )う残像


 追い縋る事の出来ない季節の移り変わりは、何物にも等しく訪れる。其れはナチュラルにも、コーディネーターと呼ばれる人にでも。
 儚い薄紫に色付き始めた宙は、夕闇が訪れる寸前のさらりとした風に更に透き通って魅せた。咽返る程甘い草きれが、まだ辺りに昼間の名残の様に蟠っている。暦ではまだ梅雨入り前だと言うのにも関わらず、日中の繁華街には抜け目の無い氷菓子の露店があちこちに建ち並ぶ程の熱気となった。だが陽が傾くにつれ、人々が家路に着く頃には大分過ごし易くなり、陽炎も立ち消え 懐かしい夏の気配は、すぐ其処にまで迫っていた。


 ほんの少し郊外寄りの、閑静な住宅街の一角。
 確かな暖かさに満ちたひかりが、二階建てのこじんまりとした家から零れて来る。家居の前の路上には何台かの乗用車が停車している。裏手には芝生の敷き詰められた少し広めの庭があり、心尽くしの料理が並べられ、立ち昇る煙に纏わり付く香ばしい匂いや、時折通りに抜ける様な笑い声が上がっている。
その家居の主―――ディアッカは飲み掛けたままのグラスを片手にふと、開け放してある室内の時計に菫色の視線をやった。既に時計の針は約束の時刻から、一回り多くの時を刻んでいた。
 
「あれ、もうこんな時間?アイツら遅いなー…」

何気無く呟かれた言葉を耳にして、所狭しと甲斐甲斐しく立ち働いていたミリアリアも同じく時計を見上げ、ひっそりと柳眉を顰めた。 次いで玄関の方に耳を済ませる。耳に馴染んだ車のエンジン音は聞こえて来ない。確かに少し遅れている様だが、何も急ぐ事は無いのだと、ミリアリアは己に言い聞かせる。

それに。

連絡した時、何度も念を押す様に…あくまでも其れと無く伝わるようあんなにも懇願したのだから恐らく大丈夫だろうと、濡れた手をエプロンで拭いつつ思いを重ねる。

"今回だけは是非二人一緒に来て欲しい"

イザークは如何だか解からないが、フレイなら女の勘とやらで気付いているかも知れない。
今日のホームパーティが"特別"な日だと言う事に。

「きっとフレイの支度に手間取ってるのよ。 イザークと一緒に来てくれるの、随分久し振りだもの」

そう言いながら晴れやかに微笑んで、隣に立ち並んだディアッカを見上げる。滑らかな茶褐色の喉元を晒して、グラスの中身を一口含んだディアッカも「確かに」と続けた。
 
 「有り得る。心配するだけ無駄かもね、と…ミリィ、まだソレ飲みかけ―――」
 「そう言うディアッカは呑み過ぎ。…今日は程々にしておいてよ?」
 
 ミリアリアの意味ありげな眼差しに攻め立てられて、取り上げられてしまったグラスを目で追いながらディアッカは肯定とも否定とも取れる返事をして苦笑いを零した。

彼女の意図する事は言わずとも、何より己が一番身に沁みて承知している。今日の日の、否これからの為に随分と二人で頑張ってきたのだから。彼女はより一層、そして自分も精神的に逞しくなったと思う。 故に簡単にめげる様な男では元より無いディアッカは、さり気無く細腰に回した腕で引き寄せ
 「解ってるって。…ミリィに嫌な想いはもうさせないからさ」
そう言うが早いか、彼女の丸いおでこに音を立ててキスを贈る。どっと沸き立つ歓声と、何処からか甲高い口笛が、ぴゅうと吹き鳴らされた。
  慌てたミリアリアは「やだっ皆の居る前で!」と、尚も妙な迫力で迫るディアッカの胸板を押しのけパタパタと慌しく室内に駆け戻って行ってしまった。

 「―――少しは場所を弁えてやれよ、彼女の為にも」

 行き場の無くなった手を持て余しているディアッカの元へ、空かさず涼やかな声が届いた。振り返らなくとも、先刻承知だ。真面目腐った言い草と、何時だって正論を己に諭そうとする男。
 
「…有難い忠告、熨斗付けて返すっての。―――アスラン」

 琥珀色の液体の入ったグラスを片手で軽く持ち上げてみせ、アスランは声を出さず俯きがちに笑った。
ノータイの軽い装いだが、傍らにはしっかりとスーツケースがあるのを目敏く見つけてディアッカは首に手をやりつつ、アスランの元に歩み寄った。
 
「…悪いな、忙しいのに」
「いや、今日は案外早く片付いたんだ。…それにディアッカからそんな言葉が聞けるなら、お安いもんだよ」
「…それって俺、喜んで良い訳?」
「良い意味に捉えた方が、是から先も幸せだと思うが?」

 昔の様な刺々しさではなく、心からその軽口を楽しむ様な遣り取りに、二人して頬を弛める。それと同時に、今がどれだけ平和で幸せなものであるかを、改めて思う。
 五年近く過かって漸く手に入れた、何よりも掛け替えの無い瞬間。これからはそんな瞬間が少しでも多く、出来るだけ増えてゆけばいい。自分だけでなく、自分の周りの人にも等しく。隣に居てくれている彼女は、きっとそれを喜んでくれるだろうから。

 ディアッカは以前の己の思想とは懸け離れた想いに、一度瞼を閉じると改めてアスランに向き直って、ふと思い当たる。  (―――そう言えば、コイツと直接逢うのも久し振りだ)
 第一線に身を置く旧友は毎日分刻みのスケジュールで、文字通り世界各国を飛び回っている。モニタ越しでは今日の為、色々と話をしたり、手を回してくれた様だが こうして面と向かってグラスを傾けながらと言うのは、本当に久しかった。 何だか擽ったい様な、照れくさい様な、だが不思議に心地良い感覚がディアッカを包んでいた。 其れは目の前にいる、相変わらず減らない口の旧友も同じだと良いと思いつつ。

その時。

 穏やかに盛り上がる家の前に、一台の赤いオープンカーが滑り込んで来た。 鋭いブレーキの音、バタンバタンと言う叩き付ける様なドアの開閉音に引き続いて 聞くに耐えない男女の激しい剣幕が流れ込んできた。

 「………のはアンタでしょ?!如何してこんな単純な間違いするのよっ!」
 「お前なっ…文句の前に礼くらい言えんのか?!」
 「なに?!その態度っ!大体ね………」

(…や〜れやれ。人ン家で痴話喧嘩見せ付けないで欲しいんだけど…)

 御出でなすったとばかりにディアッカは肩を竦めて、隣のアスランを見やった。 彼も同じく何とも形容し難い笑みを、口元に浮かべている。

 「ほんっとイザークって…」

際限の無い二人の遣り取りに気付き、ミリアリアはエプロンを外して二人の元へ駆け寄った。

 「フレイ!来てくれて、有難う!…遅かったわね、大丈夫?」
 「ミリアリア!…遅れて御免ね。  其れも是も全部イザークの所為なんだからっ!」

 頬を寄せて再会を喜んだ後、すかさずキッと隣に立ち並ぶイザークを睨み付けるフレイ。 その揺ぎ無い挑発的な視線に、ミリアリアが居る建前グッと押さえ込んだ怒りが 再び腹の中で煮え繰り返ったイザークが、一言言わずにいらいでかと口を開きかけたその時

 「お二人さん、本当に仲が宜しい事で。焼けちゃうよ、コッチはさー」
 「全く…見てる方が恥ずかしい…イザーク」
 「何処を如何見れば、そんな台詞が吐けるんだ、お前らは!」

 フレイの次にイザークの手には於けない二人―――ディアッカとアスランが自分らの間にずずいと、割り入る様に寄って来た。
縁りによって再会の第一声が、茶化す様な物言いに、更なる苛立ちがイザークを襲う。 今にもメーター振り切れんばかりのイザークの怒号を余所に、仔細無く彼らと挨拶を交したフレイはつんと顎を上げ、ちらりとイザークを見限ると、再びエプロンを手にしたミリアリアに「手伝うわ」と申し出て人の集うバーベキューの元へさっさと歩み去ってしまった。
 
  「お・おいフレイ!…って、お前らは何々だ―――ッ!?」

立ち去るフレイの背に伸ばしかけた手をディアッカが、歩き出そうとした足をアスランがまるで通せんぼでもするかの様に、イザークの往く手に立ちはだかった。

 「まあまあ、アッチはアッチで積もる話もあるだろうしさ。  …で。今度は何をしてオヒメサマを怒らせちゃった訳?」
 「何をって…此処に来る前にちょっと買い物をしただけだ…」
 「本当にそれだけで、彼女があそこまで怒るか?」
 「ぐっ…!」

 痛い程明瞭な指摘をするアスランの言う通り、まさに図星だった。 昨夜の事を忘れた訳では無かったので、早速買い物にとフレイを促したのが今朝。
 だが買い物と聞けば飛び起きる彼女が、何時までもベッドに引き篭もっている。その時の記憶の糸を辿れば、確か体調が悪いと言った様な気がする。女性にそういう周期が有る事は周知の事実、さしものイザークも理解している。
 だからこそ気を効かせて、フレイに常備薬の痛み止めを服用させ、そのまま寝かせておきわざわざ自分が赴いてやったと言うのに―――

 「ま〜た何か余計な一言で、地雷踏んじゃったんでしょ?」
 「確かに、如何にも有りそうな話だ。  以前から思っていたが、イザークはもう少し考えてから、物を言った方が良い」
 「お・おおおお前らには関係無いだろうがッ!!」

 事実ボディーソープとシャンプーを間違えました、等と言える訳が無い。
手渡されたグラスを息も吐かず一気に煽ると、イザークの行き場の無い憤りは当に言いたい放題、如何にも楽しくて堪らないと彼らに更に煽られ灼熱に燃える。
 
 「ハイハイ。そんじゃあイザーク達も来てくれた事だし―――アスラン」
 「ああ、彼女を呼んで来いよ」

突如示し合わせていた様に動き始めた旧友らに、イザークは暫し怒りを忘れて眼を見開く。

 「なっ…何だっ何かあるのか?おいディアッカ!」

 フレイが去った元と同じ方向へと背を向き掛けたディアッカに、イザークは慌てて声を張り上げた。振り返ったディアッカは菫色の眼差しをイザークに差し向けて、じっと見つめ返す。
 其の眼はイザークが予想していた以上に、真摯な色で満たされていた。傍らのアスランは何も言わずに、ディアッカからイザークに告げる言葉を待っている。
 つと押し黙っていたディアッカは、イザークに向かい合うと、其の口を開いた。

  「…真面目な話、今日はイザーク達に報告したい事があってさ」

そう、実は…―――


 「―――それでね…ねえ、フレイ?」
 「…えっ…なに?」
 「何だか今日のフレイ少し変よ?…イザークと何かあったの?」
 「べ・別にイザークは関係無いわ…。そう、今日アレが何時もより少し重いの。だから…よ」

  でも痛み止めを飲んできたから大丈夫と、更に言い募るフレイをミリアリアは物言わず見つめる。
 “ 本当にそれだけなの?” そう言いた気なミリアリアはフレイの肩にそっと手をやった。
 フレイ自身が驚くほど、その温もりは右肩を暖かくした。

 「それなら良いけど…何かあったら言ってね?話を聞く位なら出来るし…。 私イザークとフレイには幸せになって欲しいもの」
 「だ・大丈夫だったら…ミリィは本当心配症ね!」

 フレイはバーベキュー用の肉に塩と胡椒を振る、自分の手元に目を落とした。
 嘘は言っていない。
 イザークとの言い合いは何時もの事だし、生理痛が酷いのも本当だ。だから何も疚しい事は無いのに…ミリアリアの空色の瞳を直視出来ないのは何故なのだろう。今はミリアリアの心からの優しさが、暖かい右肩が、泣きたくなる程痛い。フレイは話題を変えようと、ミリアリアこそ、と口を開いた。
 
「そのワンピース新作でしょう?随分気合入ってるじゃない!」

 フレイがそう言い放った途端、はっと息を飲み、目に見えてミリアリアの頬が赤く染まった。瞬きを何度も繰り返して、丁寧にカールされた栗色の髪に手をやり、モゴモゴと口篭る。
 キラリと左手の薬指に瞬く、シンプルな指輪がフレイの眸を射った。
 フレイはもしかして…と、今度は自分がミリアリアを凝視する。

 「ミリィ、貴女―――」
 「あ・あのね、フレイ…今日のパーティには実は理由があるの…」
 「…"如何してもイザークと一緒に来て"って言った理由?」

 ミリアリアはコクリと頷くと、今までフレイが見た中で一番綺麗に微笑んだ。

そう、実はね…―――



 「"婚約"か…」
 「"婚約"ね…」

 ポツリと呟いた互いの言葉に、首を巡り合わせ何方とも無く、ふ…と息を吐く。整然と立ち並ぶ街灯が、闇の底へと誘うかのような様に車体を照らす。
 イザークは我知らず鋭い蒼眼を細め、皮のハンドルをきつく握り締めた。同じ屋根に住んでいたのだから、為るべくして為ったのだと頭では理解していても、なかなか心情が附いて来ない。
 ディアッカの言う事では、意外にも彼女の両親や己の母親は快く承諾してくれたそうだ。自分の子供が幸せに為れるのなら、それで良い。そう互いの手を取り合ってくれた。
 寧ろ大変だったのはそれからだと。
―――コーディネーターとナチュラル。
 ディアッカが改めて確認する様、低く呟いた声が鼓膜に反芻する。その壁はあまりに厚く高く、自分らが幾ら果敢に立ち向かおうとも困難なものだったと。だが其処へ最高評議会議長のアスランが立場を乗り越え、率先して動いてくれた。
 詳しい事は何も語らない二人―――ディアッカとミリアリアは唯アスランには感謝していると告げた。寄り添い合い、幸せの花を降らせて、微笑みながら。
 
 「大変だったって…言ってたわね。二人共…」

  フレイも同じ事を考えていたのだろうか、まるでイザークの胸の内を見透かした様な間合いで呟いた。その声音は静かだが、僅かに震えていたかも知れない。
 つと思い出した様に、昼間は悪かったと、イザークが呟くと、フレイはゆっくりと首を振った。突然の二人の婚約発表の後では如何でも良い事らしい。
 イザークはミラー越しにフレイを横目で見る。だがこう暗い車内では、其の表情までは窺い知れない。温い風に煽られた銀と紅が、蛍灯の様に靡きの線を描くだけ。

 「…寝ていろ。着いたら起す」

 先日の自分達を思い返すと、今のフレイにはあまりに酷な話題だ。またぶり返していた痛みに耐える様に、ブランケットに包まっているフレイを気遣ってかイザークはぶっきらぼうにも再度声を掛ける。何時もよりもずっと優しく感じるハンドリングに、フレイは頷き素直に灰色の眸を閉じた。
 未だ止む事無く続いている、下腹部の刺す様な痛みと熱も手伝ってか身動きをする間も無く、羊水の様なとろりとした眠気に擁き込まれる。その痛みを止まらせたく、胎児の様に身体を縮こまらせて、束の間の安息に落ちていく。遠退く風鳴りを意識の端にのぼらせたまま。


白いテールランプの光暈が、是からの二人の行き先を暗示する様に滲んだ。






あとがき

2話担当の漣です。
さて、如何だったでしょうか?初企画で初連載で初めて尽くしで大変緊張しています。 今まで書いた事の無かったディアミリが長引いてしまってイザフレ企画でも何でも無い物に…。 アスランも偽者臭ささ最高潮ですが、是非これからに期待して下さい。それでは此処まで読んで下さって、有難う御座いました。