本当の嘘

   鼓動のリズムを思いのまま操ってしまうイザークの愛撫に体温が上昇し、頬が熱くなった。
 
 「イザーク…」
 
 「…疲れたのか」
 
 「ううん…」
 
 「…暑かったからな、今日は…」
 
紅い髪が絡みつく蒼白いシーツに落とされた二つの影が濃く刻まれた。二人の体温が重なるシーツを覆う紅を両手で掬いあげる。

とても、温かい。

細身の腕が頬を掠め首筋に回される小さな手のひらに思わず口元が綻び、イザークは細身の腕を掴みあげると唇を滑らせた。
 
 「…な…イ、イザークってば…ふふっ…あっ…くすぐったいってば…」

  イザークの乾いた唇が手首から肘へ、そして液窩へと向かい、濡れた舌の動きに身体をふるっと震わせた。鼻筋から漏れる熱い息が項を這い、耳たぶを撫でる。イザークの力強い胸板の心地よさに瞼を閉じた。

  「ふふっ…んっ…」

  銀と紅が忙しなく戯れるシーツを剥ぎ正面から腕を回すとフレイの唇を奪った。くの字に横たわっていた温もりを更に腕の中へ引き寄せると、胸が苦しくなるような薔薇の香りが鼻をくすぐる。大輪の薔薇に囲まれむせ返るような香りは毎晩吸い込んだものとは明らかに違う。今腕の中にいるフレイを包む香りは薔薇の棘の青々しさを思い浮かべてしまう。棘で指先を刺された時を、思い浮かべてしまう。

ゆっくりと絡み合う舌を放し、唇だけ合わせる。静かに重なる唇に、吐息のような溜息が鼻筋から漏れた。

  「…何か替えたのか」

唇を放し紅い前髪をかきあげ、影が落とされた小さな顔に光る瞳を見下ろすと息を軽く弾ませながらフレイは答えた。

  「…え…ああ…ボディーソープ、新しく買ったの」

  「…前のが…よかった」

  「え…?」

イザークの一言にフレイは彼の首筋から斜め横を見上げた。イザークの熱い息が吹きかかる熱い息は紅い前髪をサラサラと掻き分けこめかみを撫でる。

あの日確かに薔薇の香りがいい、と言ったはずだ。

イザークの実家に大きな薔薇園があることは知っていた。小さい頃から大切に育てられている事も、イザークにとって懐かしさを含む香りだからこそ、薔薇の香りに、と思い納得し買い替えたのだが。今になって良くないとは、気紛れで言ったのだろうか。

  「だってイザークが選んだのよ、これがいいって…」

  「ああ?嘘つけ」

  そんなはず、ない、とイザークは心の中で呟いた。家にある大きな庭に栽培されている大輪の薔薇園をつい、思い浮かべてしまうような香りに纏われたフレイを抱きたいとはいつ、言ったのか。読書中に聞かれ答えたのだろうか。考えなしに口からでた言葉は記憶をどう辿っても思いあたらなかった。

毎晩ココナッツミルクの香りを纏うフレイの肌はバターミルクのようになめらかだった。

  「嘘じゃないわ…前のボディーソープは匂いが甘ったるすぎるから…って…言ってたじゃない」

  ココナッツバターミルクの香りをフレイは気に入っていた。とろけるように甘い香りに包まれると自然と落ち着いていくので愛用していた。いつも甘すぎるほどの匂いを纏う身体に満遍なく愛撫を与え二人で歓びを分かち合うのだが。イザークの好みではない、と知った時、ボディーソープがほぼ残っていなくて丁度良かったと思い、彼の好みに替えたのだったというのに。

  「忘れたな…俺が…そんなこと言ったか」

  フレイはたまに口から出る言葉を真に受ける。記憶にさえ残っていない発言をいちいち覚える特技があるな、と言い睨まれたこともあった。そんな彼女と共に暮らしてもう、3,4年になる。胸の痛みを伴う戦時の出会いに常時涙を浮かべていた彼女にいつの間にか笑顔が訪れたのはここ数年である。傷つけあった戦時から5年以上も経ち、今ではイザークにとってかけがえの無い存在だ。

甘く囁いてたフレイの首筋を撫でながら肩のラインをなぞりだし、自然でなだらかに縁取るそれに唇を落とすと髪が揺れた。 

  「あん…言ったわよ…キッチンから出た匂いみたいで鬱陶しくなる…って…」

  手のひらを滑らせ、指を一本ずつ動かす愛撫が全身をとろけるような熱を孕ませている。優しさと激しさを持ちあわせたイザークの指は毎夜に渡って身体中の関節を一つずつ外し、次々と解いていくはずなのだが。

  「あっ…」

その指の動きが下腹部に触れ、奥へと進みいくうちに欲望に苛まれた疼く痛みとまた違った熱の衝撃がフレイを襲い、忙しく睫を瞬かせた。臍から下に向けて鋭い痛みがズキズキと走る。キュウ、と締め付けるような痛みに眼を閉じた。

  「あっ…イ、イザーク…」

腕に縋る小さな手は冷や汗を滲ませている。ビクビクッ、と震えるフレイの身体を引き寄せようと顔を覗きこんだ。

  「…フレイ…?」

  眉間に皺を寄せたフレイは苦渋に満ちた表情で訴えている。何時も微笑みを浮かべて受け入れてくれる彼女が両手を胸にあて、二人の間に距離を作った。拒まれる夜はたまにあったがいきなり間を作ることは無かった。突き放されたような気がしたイザークは背中に回していた手でフレイの頬を包み込んだ。

  「…ご、ごめんね…わたし…ちょっと…あっ…」

  「どうした?」

  「ん…なんでもない…」

  冷や汗の滲んだ手のひらできつくシーツを握り締めた。
また、あの痛みだ。ズキン、と熱が灯る痛みは快楽で得る時のような甘美なものではない。生理が来る時のような痛みに少し似ている。生理痛は酷い方ではあるのだが…次の生理まで最低あと10日はあるはずだ。数ヶ月前から生理が来るより少し前に痛みが訪れるようになった。生理痛のような痛みでもあり、排卵時のだるい疼きのような気もするのだが、先月より酷くなってきているようだ。

  「…なんでもない…から」

  スイ、とゆるやかな弧を描く胸のラインに滑らせていた指の関節がいつの間にか細い項を包み込んでいる。顎を優しく撫で擦るイザークの透き通るような蒼い瞳に覗き込まれ、フレイは視線を逸らした。

   銀髪が身体中を触れていくくすぐったさに酔いしれる毎夜をいつも心待ちにしているのではあるが、今夜の痛みはそう簡単に引いていく事はないらしい。

  「それがなんでもない…ような顔か」

  「ごめん…ね…ちがうの」

  「昼間…のことか」

  「…ちがうわ」

  顔を再び逸らしたフレイの横顔を凝視するイザークは不思議に思う。どこか痛むのだろうか。期待を胸に抱いていた反応と違い身体の筋肉を強張らせている。彼女の顎に載せた指に力を入れた。

  「…ならなぜ…フレイ…こっちみろ」

  「や…イザーク…」

  「どうした?」

  イザークの、もう片方の手のひらに包まれた頬の体温は既に上昇している。ゆっくりと撫でる5本の指がサワサワと髪の根元をかきあげた。上下に繰り返される指の優しさとは違い、鋭く探るような視線は元軍人であった頃を彷彿とさせている。過去に舞い戻った感覚を繰り広げる視線に捕らわれ、何をどう言えばいいのかわからなくなった。

  「…」

  「…母上の言ったことを気にしているのか…」

(ナチュラルはその名の通り、自然体なのね)

  昼間のお茶会後、ほとんど口をきかなかったフレイに気づいていた。母に会わせて1年程になる。それ以上の進展は無い。
   お庭で取れたてのローズヒップのお茶でもどうかと招かれ三人して庭の散策で午後を費やした。初夏の庭は少し汗ばむほど暑かった。イザークの前では口数の多い母がフレイの前では他人行儀な態度に豹変する。そんな母に一歩進んだ付き合いを求めていいいのかどうか自信がなかった。フレイを完全に受け入れていないのであらば家に誘い入れることはないだろう。母にとっても、フレイにとっても、もう少し時間を置いた方よさそうだ。それが戸惑いと弱気を覆い隠す言い訳ではないと、言い聞かせながらイザークはフレイの視線と自分のそれとを絡め合わせようとした。

  「そんなんじゃない…わ」

 (地球の自然に慣れた貴女はプラントの天候は慣れないと思うでしょうけど。薔薇の栽培方法も違うでしょうね)

  いつも向けられるよそよそしい微笑みはイザークそっくりだった。彼そっくりの、高貴な雰囲気を漂わせるエザリアの冷たい瞳の色にいつも、疎外感を感じてしまう。フレイに自慢の薔薇を見せるのが好きだということは自分を受け入れてくれているとは思うのだが、「違い」を強調するエザリアの口調はいつもやんわりとした拒絶が含まれているようだった。

  イザークの母に紹介されてからそれ以上の進展は無い。彼はいつまで経っても何も言わないままでいる。それはエザリアとの間がまだ打ち解けていないからなのか、それともこのままの関係に満足しているのか、時と場合によってどちらともとれる彼の態度をフレイは歯がゆく思っていた。心に抱えた靄をハッキリとぶつけ合い築いた関係だというのに、この歯がゆさに中々身動きが取れない。ハッキリ言ってしまえばイザークがどう思っているのか想像できないからだ。二人の関係が進展するか否かの切り札かもしれない故に聞くのが怖い。
 
  「…そんなんじゃ…ないの」

   「…アレか?」

   「ん...多分もうそろそろ来る頃なんだと思う…」

   「…痛いのか」

  生理についての知識は常識止まりだったのだが、フレイと暮らし始めてからというものの身体のサイクルについて少しずつ理解してきた。ここ最近元気が無いのは身体の変化によるものらしい。

   「うん…ちょっと」

   「一番欲しがる…頃が…運動不足か…」

  悪戯心を表す光を双眸に湛えフッと微笑むイザークに、熱くなっていた頬が一段と燃え上がる。

   「あん…だって…ごめんね…」

  瞼にキスを落とすイザークの熱く火照る身体は懸命に何かを抑えている。行き場のない欲情を追い出すことが出来ず、イザークはシーツの冷たい処を両足で探している。中途半端な愛撫に満足していないのか、手のひらをフレイの素肌に滑らせては長い溜息をついている。イザークの手の動きを止め、フレイは彼を見上げた。

   「そんな顔するな…よ」

   「嫌、じゃないのよ…ただ今日はちょっと…疲れたの」

   「…フン…逃げるのが上手いな、お前は」

   「逃げてなんかない…」

   「もう、いい…」

  さっ、と 身体を包んでいた両腕が遠のいていく。温もりが首筋から、背中から去り、羽根布団がふわり、と紅の髪を揺らす。銀髪が散らばっていた枕の窪みが消えていった。

  「ねぇ…イザークってば…」

  離れていく体温を追いかけるように、囁き声のトーンが高くなった。

  「やらないのなら近寄るな…眠れなくなる」

  頭をポン、と撫でる大きな手をそのまま引っ込めると大きな背中を向けた。

  「あ…もう…何よ、獣じゃあるまいし」

  「…ヒトと獣はそう変わらないんだよ」

  「もう…ねぇ…そんなこと言ってないでこっち向いて…」

  「…お前…なぁ…やらないのなら…やめろ…」

  丸めた背中を伸ばし、欠伸を噛み締めた。身体の奥底に眠る欲望の芯にポッと灯った熱を冷まさせるため壁に背を向けるとフレイは必ず体温を摺り寄せてくる。まどろみが訪れてくるにも関わらず、そのまま眠りに落ちていくことをフレイは許さず、背後からきつく抱きしめてくる。
  
  後ろ姿を見つめながら寝るのはもう、たくさんだ。ベッドを共にしても背を向けられると精神も身体も暗闇に呑みこまれてしまいそうになる。
  
 「だからって背中をこっちに向けないで。わたし眠れなくな…っ…」
   
つーっ、と銀髪のかかる首筋から引き締まった背筋へかけて人差し指でなぞっていくと羽布団の温もりが唇を、鼻筋を、睫を掠めた。

  「きゃっ…いきなり…びっくりさせなっ…」

視界が暗転し、トクトクと打ち続ける鼓動のリズムを包んだ素肌が頬に触れ、息が止まるほどの抱擁がフレイを攫った。執拗に絡ませてくる半裸のイザークのふくらはぎに、フレイはズキン、と下腹部の痛みが腰から背中へと広がるのを感じた。

  「イザ…く、くるしい…てば」

  フレイにとって、熱い息と暖かい素肌を合わせることが全てであった。この他に、一体何を望むのか。戦時体験した痛みを味わったあとでこれ以上の幸せを望む自分を時に恐ろしく思う。恋人のままでいい。それでいい、と何度も心の中で呟いた。

  「明日…他のを買いに行く」

  「他の?え?」

 「前のがいい...その匂いはキツすぎる」

  「でも…勿体ないじゃない…それに明日はミリィとディアッカ達のパーティーがあるのよ?」

  「行くついででいい。帰りでもいい…ボディーソープ如きにそんな時間はいらないはずだ」

 「…イザークが買ってね」

  「…言われなくともわかっている…そんなこと…」

  パーティーは確か午後のはずなのだが、夜遅くまで飲むことになるだろう。少し遅れるが行く前店に立ち寄ればいい。夜は棘の匂いよりはココナッツの香りに包まれたい。あれほど抑えていた欲情も睡魔には勝てないのか、明日のパーティーを思い出した後冷めてしまった。大きく欠伸をすると目じりが少しだけ濡れた。

  「もう…寝ろ」

  「ん…」

  腰に回された腕に包まれ、冴え始めていた頭に再び霧がかかってきた。額に当たる顎の感触、そして静かな息遣いを耳にしながら瞼が重くなった。暖かい両手が腰に伸び、ダラリ、と垂れた。鋭く熱っぽい痛みがまたチクリ、と腰に行き渡る。ぎゅ、としがみつくとイザークは既に睡魔に攫われてしまったのか微かに動いただけだった。



あとがき
第1話担当の夜深です。合作連載は初めてですので書き始める前からどきどき。3人とも事前にシナリオについて話し合っているのでリレー連載とまた少し違った感じですが期待と興奮と緊張でいっぱいです。というか濡れ場からですか!あは。やっぱり二人はこうじゃないと。フレイがなにやらもやもやと心に抱えていますよ、イザーク!二人とも心の中に何か抱えていますね。エザリアさんも登場するらしいですよ。ディアミリも出てきそうですね!どきどきです。挿絵にハヅキさんの訝しげでフクザツなフレイを頂きました!